バレンタインと言うと日本では女性から男性にチョコレートを渡していきます。
なぜ、女性から男性に渡していくのでしょうか?
男性から女性じゃダメなんでしょうかね。
男性から女性へ告白の日があってもいいのではと思ってしまいますけどね。
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バレンタインデーでなぜ女性から男性にチョコを渡すようになったのでしょうか?
実は、女性が男性にチョコを贈るというきっかけになったのはメリーチョコレートのキャッチコピーからなのです。
このような事が言われました。
「女性が男性に1年に1度愛の告白ができる日」
と言うのです。
このような言葉が生まれたのは、時代背景を踏まえたものでした。
まだまだ男性の強い国ではあったのですが、女性の生き方も新しくなってきました。
アメリカのウーマンリブ運動があったり女性週刊誌が続々と創刊されるなど女性の生き方が新しくなる過渡期だったのです。
高度経済成長期であることも理由にあり、チョコレートの消費が増えていったのでしょう。
と言うわけで消費者の女性がブーム作りをしていって現在のような形になったのではないのでしょうか。
1970年代にはバレンタインデーが定着していきました。
その日は、女性から男性へチョコレートを贈るのが一般的になりました。
2月14日はチョコレートの日になったのです。
1980年にはホワイトデーも出てきました。
そして、現在のような形になっているのです。
時代の流れで日本独特のバレンタインデーとなっていったのです。
他の国では、日本とはまた違っていたりします。
男性から女性にお花やカードを渡すという国も多いようです。
バレンタインデーの意味についてお話していきます。
バレンタインデーと言うと女性が男性にチョコを渡していくのが日本では一般的です。
本命チョコに義理チョコ・友チョコ、自分用チョコを買う人もいます。
また、全く何もしないという人もいることでしょう。
「バレンタイン」の意味についてですが、「バレンタインデー」って一体何でしょう。
バレンタインデーにたくさんのチョコをもらえる人もいるかもしれません。
でも、一つももらえずにつまらないなんて思っている男子もいるでしょう。
チョコをもらえるかもしれなくてソワソワしているなんている男子もいるかもしれません。
バレンタインデーの日は、いろいろな考えの人がいるでしょう。
まずはバレンタインデーって、そもそも何なのでしょうか?
バレンタインデーは、そもそも2月14日に祝われていたキリスト教の元聖名祝日なのです。
聖人ウァレンティヌスを悼み祈りを捧げる日であるのです。
ウァレンティヌスおよびバレンタインデーは恋人達のロマンスと無関係であり15世紀頃より急速に男女の恋愛の聖人と記念日へと変貌していきました。
でも、いろいろな説があり、存在が証明できないとなり現在ではウァレンティヌスは聖人から除外されてしまっています。
バレンタインデーは正式にはキリスト教の祝日でもありません。
勘違いはしないようにしてくださいね。
日本では2月14日を「バレンタインデー」と呼んでいます。
英語では “Valentine‘s Day” と言います。
バレンタインに「ズ」が入っています。
そして、最初の「ヴァ」を強く読むのがポイントでもあります。
バレンタインデーとは、女の子が好きな男の子にチョコをあげるというのがよく知られています。
日本ではこのような形になっています。
海外ではまた違う習慣にもなっています。
男性から女性に渡すという国が多いようで実際は、チョコではなくてお花だったりカードだったりするようです。
様々な形のバレンタインがあります。
最近は、友チョコなども女子の間で流行ってます。
ひと昔前は、義理チョコと呼ばれていました。
バレンタインデーの由来や歴史はいくつかの説があります。
ローマ帝国発祥説です。
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代までさかのぼります。
古い歴史があるのですね。
当時、ローマでは、2月14日は女神・ユーノーの祝日だったのです。
ユーノーはすべての神々の女王でした。
ユーノーは、家庭と結婚の神でもありました。
すごい神様だったのです。
2月14日の翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日でありました。
当時の生活と言うのは、若い男と女たちは生活が別々でした。
別々に生活をしていたのです。
祭りの前日に女たちは紙に名前を書いた札を桶の中に入れることになっていたのです。
翌日、男たちは桶から札を1枚ひいていきました。
ひいた男と札の名の女は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていたのです。
そして、札をひいて祭りの間、一緒に過ごした多くのパートナーたちはそのまま恋に落ちたのです。
そして、結婚したと言われています。
そのような歴史があったのです。
ローマ帝国皇帝・クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、兵士たちの婚姻を禁止したと言われています。
キリスト教の司祭だったウァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていたのです。
やがてその噂が皇帝の耳に入りました。
怒ってしまった皇帝は、二度とそのような行為をしないようウァレンティヌスに命令したのです。
でも、ウァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しませんでした。
最終的にウァレンティヌスは、残念な事に処刑されたとされています。
彼の処刑の日は、ユーノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれたのです。
処刑の日が2月14日だったのです。
ウァレンティヌスは、ルペルカリア祭に捧げる生贄とされたと言います。
そのためにキリスト教徒にとっても、この日は祭日となりました。
そして、恋人たちの日となったというのが一般論なのです。
このような説から2月14日と言う日は、恋人たちの日となったのです。
バレンタインデーには、いくつかの説があります。
異説・異論です。
今まで説明した逸話には歴史的背景の説明が必要でもあります。
初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡があります。
ルペルカリア祭は排除する必要があったのですが、ただ禁止しても反発を招くだけでした。
教会には、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつける必要があったのです。
と言うわけで兵士の結婚のために殉教したとされるバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられます。
こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更されたのです。
そして、その後も祭りは続きました。
すでに話しましたが、くじ引きでパートナーを選ぶ話も、ローマの宗教行事は野蛮であるという印象を与えますよ
ね。
くじ引きで相手を見つけるなんて・・・・・
でも、そのくじ引きの話しも初期キリスト教会によって創作されたものである可能性があるのです。
カトリック教会における祝日
カトリック教会は、第2バチカン公会議後の典礼改革で、史実の上で実在が明らかでない聖人たちが典礼暦から整理されました。
その際、2月14日のウァレンティヌスの記念日が取り除かれたのです。
このため現在では公式には祝日として祝われていません。
事実、聖バレンタインに関する伝説は複数ありました。
色々な説がバレンタインデーにはあるのです。
ローマ殉教録によると、この日に同名の司教が殉教しています。
複数の伝説や奇跡などが重なりました。
色々な細部が異なって伝えられているとされています。
バレンタインデーは、日本では、1958年ころから流行しました。
バレンタインデーの内容は日本独自のものにもなっています。
戦前に来日した外国人によって一部行われました。
第二次世界大戦後まもなく、流通業界や製菓業界によって販売促進のために普及が試みられました。
でも、その時にはあまり広がりませんでした。
日本社会に定着していったのは、1970年代後半でした。
「女性が男性に対して、親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」
という形となりました。
「日本型バレンタインデー」の様式が成立したのもその頃でした。
バレンタインデーにチョコレートを渡すという形を最初に考案して実践したのは、一説に大田区の製菓会社メリーチョコレートカムパニーの原邦生と言われています。
でも、原邦生が行ったと言われているイベントは昭和33年となっています。
でも、神戸のモロゾフ製菓が20年以上前の昭和11年2月12日に外国人向け英字新聞『ザ・ジャパン・アドバタイザー』には、「あなたのバレンタイン(=愛しい方)にチョコレートを贈りましょう」というコピーの広告を既に掲載しています。
モロゾフ製菓が、バレンタインチョコを最初に考案した仕掛け人であるとされる説の方が最有力でもあります。
日本チョコレート・ココア協会では、1992年に聖バレンタイン殉教の地イタリア・テルニ市から神戸市に愛の像が送られています。
その理由は、神戸が日本のバレンタインデー発祥の地と分かったからとの事でもあります。
時代の流れとともに現在のようなバレンタインデーの流れとなったのでしょうね。
男性から女性に渡していく国の方が多いようですが、日本では女性から男性にチョコレートをドキドキしながら渡していくようになっています。
ドキドキですよね。
現在では本命チョコだけではなくて友チョコや義理チョコなどなども多いようです。
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